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◆不定期日記ログ◆

LOG 2013-09

■2013-09-04 : 国旗ファンタジー
 赤白緑の旗が見えたのでイタリア料理屋だと思って車を止めたら、それはイランの旗で、ペルシャ料理のお店だった……という悲しい話を聞いた。
 たしかにこれが斜めに掲揚されていたら間違える。
ITARY
イタリアとイラン

 世界の国旗を覚えよう!みたいなコンテンツは子どもの心をつかみやすいようだ。
 そういう国旗が勢揃いした資料を何かで見たことがある人も多いと思う。
 だがそのとき、国旗の縦横比まで注意を払う人はあまりいない。

 国旗の縦横比は国ごとにかなりバラバラだ。一番ポピュラーな縦横比は2:3で、フランスやらスペインやらが採用していたおかげで世界中で使われている。次いで多いのが1:2で、こちらはイギリスが代表格だ。なおアメリカさんは1:1.9というよくわからん縦横比を採用している。
 意外にも黄金比や白銀比にこだわった国旗は見かけない。どうせたなびいてしまうのだから、ちょっと長めの3:5や2:3でいいやと思ったのかもしれない。

 国旗が一覧できる資料などでは、すべて2:3の縦横比に統一して示していることがある。こうしないと、たとえば縦の長さを揃えたときに、横長のイギリスなどがやたら面積を取ってしまって不公平だからだ。国連やオリンピックでもそうしているらしい。国によっては単純に2:3に直すことができないので、2:3用のデザインを決めているところもある。


 こうなると気になるのがネパールだが、どうやらあそこまで特殊だともう面積とかどうでもいいらしく、縦横比を気にすることなく掲げられているようだ。
 オリンピックでネパール選手を見た記憶がないけれど、見かけたらきっと目立つことだろう。
 
■2013-09-08 : オールスターバトル総括
 『ジョジョの奇妙な冒険オールスターバトル』ストーリーモード終了!



 つめが甘かったな……ジョジョオー!
 このディオ、ゲーム中のグラフィックの表現力…認めよう!
 作中のポーズを取り入れた動き、すばらしいものがあったことも認めよう!
 ンン~(顔の左右のズレを直しながら)
 だが!ジョジョオ!
 このゲームが対戦メインの格ゲーである限り、ぜったいハマれん!
 ストーリーモードが済み次第、完璧に飽きてくれようぞ!



 ……と、発売前から確信していたが、その通りだった。結局のところ、この素晴らしいキャラモデルを最大限活かすには、対戦格闘ゲームにするほかなかったのだろう。しかし格ゲーをしない人にとっては対戦というのは非常にハードルが高いし、それを楽しめるところまで持っていくには恵まれた環境が必要となる。オンライン対戦に放り込まれても、それで対人戦を始めるのは格闘ゲーマーだけだろう。

 となるともう、キャラゲーとして格ゲーを売るためには、ソロプレイのアクションゲームとして楽しめるよう、ストーリーモードを充実させるしかなかったのだ。だが「原作通りのバトルが楽しめる」とうたったばかりに、プレイアブルでないキャラとの戦いがほとんどだったナランチャやエルメェスはストーリーモードにバトルが用意されていない。オールスターバトルなのに部を越えた戦いもない。
 ストーリーモードはもう全キャラプッチ神父をラスボスにして「世界が何巡もした結果各部のキャラが同じ時間軸にそろったので神父を倒しにいく」みたいなオリジナルシナリオを舞城さんあたりに監修してもらえばよかったのではないか。それくらい神父のラスボス感ハンパなかった。



 キャラゲーとしては、キャラの人数もモーションも声優も非常にクオリティが高いのに、ゲームが格ゲーの域を出ていない。結局これは「ジョジョファンかつ格ゲープレイヤー」に向けられたゲームでしかない。格ゲーに詳しくないのでゲームの出来はわからないが、出来がよくてもそんなニッチな層を狙ったゲームがそんなに出荷数を伸ばすわけがないのだ。
 すごい速度で値崩れしているので、身近にジョジョが好きで同じくらいの格闘ゲーの腕を持つゲーマーがいるなら買って損はないと思う。そんな環境にいる人はとっくに買ってるだろうけど。
 
■2013-09-21 : 歪んだ客観性
 たまに「あくまで自分の主観だけど」と前置きして話すことがある。
 相手の話に「でもそれってオマエの主観だろ?」と返すこともある。



 「自分の主観だけど」は、相手に自分の意見を強制しない奥ゆかしさを示すコトダマとして、便利に使われている。しかし、ふと、これを便利に使っていることで、逆に「主観では、相手に意見が通らない」という意識が生まれているのではないか?……と考えた。
 
 もちろん、大人の社会では、たいてい主観だけでは意見は通らない。「めんどくさいから、やりたくない」というのが本音でも、なんとか「人手が足りない」「予算がない」などの理由を探して拒否するのが大人なのだ。相手を説得するためには、主観を殺し、客観的な理由であたるのが理知的な人のありかたである。

 だが、世の中、主観でしか示せないことは多々ある。「私はお腹が痛い」ということを客観的に伝えることはできない。伝えなければならないときは、やむなく医師の診断書などで替えることになるが、それで自分の腹の痛さが伝わるわけではない。我々はもう少し、主観というやつを重んじてやるべきではないだろうか。あまりに主観を排除していくと、それはそれでおかしな歪みを生む。



 たとえば、「電車内での携帯電話の使用はお控え下さい」というマナーから、そんな匂いを感じる。もともとは「うるさいから喋るな」と言いたいだけだったのではなかろうか。それに客観性を持たせるために「ペースメーカー使用者への配慮を」という要素を付け加えてしまったのだとしたら、それが歪みの始まりだ。

 この大携帯時代に、ペースメーカー使用者が携帯電話を使えないのだとしたら大変なデジタル村八分だ。最初は本当に危険性があったのかもしれない。だが、今はただ、ペースメーカー使用者に呪いのように恐怖感を植え付けただけの文句となっており、優先席付近では電源を切らなければならないという謎のマナーだけが残った。優先席には病院のハイテク装置も航空機のハイテク装置もないというのに。

 タバコもそうだ。アレは密室で吸われるとたしかにケムい。あとクサい。ケムいのはそこまで嫌いじゃないが、帰宅したら即ファブ必須なあの匂いは困る。……って感じの軽い嫌煙者は俺以外にもいると思うのだが、嫌いとか困るとかは個人の主観である。そして、これを社会的に押し通すために作られた根拠が「副流煙の害」なのではないか。

 昔、養老孟司先生が「タバコの害に科学的根拠はない」と主張していたのを読んだ。「そんなわけねえだろ」とは思ったが、少なくとも副流煙の害の根拠とされる平山論文には疑問点が多い、というのは意に留めておく必要がある。仮に副流煙が排気ガス等と比べて圧倒的に無害だったとすると、喫煙者がガンになるのは個人の嗜好ということになる。そして、喫煙でガンにならずとも、日本人の3人に1人はいつかガンで死ぬ定め。医療費の総額は減らぬ。よって嫌煙家の主張対象は「くせえ」などの主観的だが肝心なものへ集約されていく。となると、匂いや煙の出ないかぎたばこ等が許容され、喫煙者と非喫煙者の妥協点にたどり着けた可能性もある。だが実際は、副流煙の害がろくに精査されないまま恐怖感として嫌煙家に広がり、両者は完全に断絶してしまった。



 捏造とまでは言わないが、このように妙な「客観性」を持たせることで、新たな歪みが生まれてしまった例は他にもあるのではないか。それもこれも、「客観性」を持たせないと主観を通せないからだ。我々はもうちょっと主観を出してもいいし、他人の主観を汲む姿勢も必要だと思う。まあこれも自分の主観だけど。