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◆不定期日記ログ◆

LOG 2009-05

■2009-05-01 : 祈るようなメーデー
 MAY DAY MAY DAY (S・O・S!)
 MAY DAY MAY DAY (S・O・S!)

 今年のメーデーはどちらかというと救難要請のほうじゃないか、
 みたいなネタはきっと各種マスコミでここぞとばかりに使われているだろう。

 しかし「5月の日」と銘打っておいて1日だけで終わるのはどうか。
 5月中フリーダムに叫び続けても許されるのでは?
 と思ったが、それをやると4月中ずっとウソつきっぱなしになるのでダメだ。

 5月1日は、浜松駅ビルメイワンの誕生日でもある。
 浜松市民ではないのでどうでもいいが、このビルを見るたびに「まよね」と呟いてしまう。
 本当にどうでもいい話だった。
 
■2009-05-04 : 富士花鳥園
 ゴール田ウィークの渋滞にも負けず、富士花鳥園へ行って来たよ!

 圧倒的な量のベゴニア類と、多種多様な猛禽さんの集うパラダイス。
 なんでもベゴニアの品種についてはかなりの量を保持しているそうで、その著作権みたいなもので資金を得ているという話を聞いた。
 噂にたがわぬ花々の陳列っぷりだ。

 花のほうはオフィシャルを見ていただくとして、鳥のほう。
 やはり花鳥園のメインは、大量の鳥にたかられる「ロリなんとか・ランディング」というオリだろう。
 小さなカップに入った餌を持って、でっかいオリに入ると、たちまち南国なカラーリングの鳥が腕や肩にのっかってくる。
ロリキート
南国なカラーリング
 左手に餌を持っていたら、左腕に順番待ちの列ができる。
 ひらひらしたものやキラキラしたものも気になるらしく、肩にのって襟のあたりを執拗につついてくる奴もいる。
 ただたかられているだけでは面白くないので、餌を持ち替えてみた。
グーグー・ドールズ
 飛んでみなよ……さ!あんたならできる。
 信頼があればできない事はないはずよ……やってみせて。
 あの腕だよ!ピョンって行くんだッ!フルーツいっぱいあげるよ!
 どーした!やんなさいよッ!!二人の関係はおしまいなのかァ―――ッ!

 ……などといってグーグー・ドールズごっこをして遊べる。
 とってもとってもきゃわイイねェェェピーちゃん!よく出来たッ!
 
■2009-05-07 : きららクイーン
 仕事で、大量の名前が載っている名簿をパラパラ見ていたところ、
 「き」の段に「雲母さん」がいた。

 「き」の段にいたということは、当然「きらら」と読む姓なのだろう。
 きららさんご一家……もう何をやってもメルヘンチックな印象しか与えない運命だ。
 「たばこさん」に出会ったとき以上の衝撃だ。

 こういう稀姓は自己紹介でいきなり話のタネになるので便利かもしれない。一生同じネタを繰り返すハメになる煩わしさと差し引いてどちらが勝るかはわからないが。
 稀姓が珍しく印象深いのは稀な一族だからであって、同じ効果を狙って子どもに妙な名前をつける親は地獄に投げ込まれるべきだとも思う。
 
■2009-05-10 : 湯桶読み
 「湯桶(ゆ・トウ)読み」という言葉をなんとかしたい。
 湯桶そのものの知名度がなさ過ぎる。

 対になる「重箱(ジュウ・ばこ)読み」の重箱は、おせちのシーズンにギリギリ聞く可能性があるし、スミをつつきたがる人がいる限り印象が薄れることはあるまい。
 それに比べて湯桶はどうだ。君は湯桶を知っているか?「そば屋でいつも見るじゃん」と即答できる人はなかなか通なレベルに達していると思う。

 湯桶読みの代表を任せられる言葉は他にないのか。
 せめて重箱レベルの知名度があるものはないのか。

 真っ先に思いついたのが「鼻栓(はな・セン)」だったので絶望した。
 鼻栓読み……なんかマ行が読みにくそうだな……

 他に浮かんだのも「技表(わざ・ヒョウ)」だとか「引数(ひき・スウ)」だとか、一般に流通してない言葉ばかりなので次々と却下した。
 「柴犬」を思いついたときはコレだ!と思ったが、実際は「しばいぬ」が正しいのでこれも却下である。惜しい。

 結局のところ、「手帳(て・チョウ)」が一番オーソドックスで、無難なような気がする。
 将来、電子化が進んで手帳が絶滅する危険もなくはないが、重箱が生きているうちは大丈夫だろう。
 なにより「湯桶」と「手帳」は語感が似ていて、しかも「手帳」のほうが強い。
 実生活で「ああ、手帳読みね」とサラッと言ってもツッコまれなさそうな自然さがある。
 サラッと言って徐々に浸透させてやりたい。
 
■2009-05-19 : 物忘れ記録
 最近、自分の脳みそが心配になることが多い。

 仕事中、まだ開催場所を押さえてない会議が1つあったので、
 他の用事ついでに、会議室の空きを電話で問い合わせたときのことだ。

 「お世話になります。S社の手羽崎(仮名)です。
  8月○日の9時からなんですが、会議室は空いてますか?」

 「少々お待ち下さい……
  ええと、すでに御社の会議が入ってますが」

 「え?おかしいな……予約した担当者はどなたですか?」

 「手羽崎様になってますね」

 バ、バッカモーン!そいつがルパンだ!追えー!
 
■2009-05-21 : ワヰウヱヲのこと
 「ディズニー」を発音できないお年寄りを見ると、
 ここ半世紀で日本語の発音はバリエーションが増えたのだなあと思う。

 かつて「Angel」は「エンゼル」であった。
 いまや「エンジェル」という発音・表記が一般的であるといって良いだろう。「エンゼル」という表記・発音は、おもちゃの缶詰に関する文脈か、あるいはロサンゼルスなどの固有名詞に使用されるにとどまる。
 いつの間にか我々は「ジェ」の発音を手に入れたのだ。
 もしこの成長がなかったら、JEROは「ゼロ」と呼ばれるハメになり、それは演歌というよりはB'zであっただろう。

 しかし、表記が根付いていても、発音が根付いていない例も見受けられる。
 「ウィ」「ウェ」「ウォ」の3つを例に、少し考えてみた。

 ゆっくり思い返してみると、我々は「ウィ」と書いて「うい」と発音することが多々ある。
 「ウィーク(Week)」は「ういいく」だし、「ウィンドウ(Window)」は「ういんどう」だ。
 さすがに「ウィン(Win)」まで短くなってくると「ウィ」に近くなってくる。
 「ウィル・スミス」を「ういる・すみす」と発音する人は少数派だろう。

 「ウェ」はどうだろうか。
 「ウェディング(Wedding)」「ウェハース(Wafer)」「ウェスト(West)」……脳内で発音してみると、どれも「うえ」になることが多い。
 「ウェザー・リポート」は「うえ」だが、本名の「ウェス・ブルーマリン」は「ウェ」に近くなる。
 いちばん「ウェ」の発音が意識されるのは「ウェブ(Web)」かもしれない。

 「ウォ」について考えると、前2つとは大変な違いがある。
 「ウォール(Wall)街」「ウォーキング(Walking)」「ウォーター(Water)」など、驚くほど「ウォ」の発音が根付いている例が多い。
 若者層でこれらに「うお」の発音を使う人は、もはやいないのではないか?
 この定着率、「ヰ」「ヱ」が死亡した今もなお残る「ヲ」の執念のなせるワザだろうか。
 全然関係ない話になるが、Waterを「ウォーター」と読んだのはいったい誰なんだろう。
 ジョン万次郎は「わら」と教えたはずだが。


 こうなると、なぜ「ワ」は「ウァ」にならないのか?という疑問も出てくる。
 VとWに密接な関係があるのは字形からも推測できる。
 VAを「ヴァ」としたのにWAを「ウァ」にしないのは不公平ではないのか?

 今までの人生で「ウァ」の表記をいちばん目にしたのは、10年前の1999年。
 『ファイナルファンタジーVIII』のプレイ中である。
 アステカ神話のケツァルコアトルをもじった召喚獣「ケツァクウァトル」や、主人公の一人「ラグナ・レウァール」の名前に「ウァ」の表記が登場した。
 これほどの「ウァ」を見たのは後にも先にもこのときだけである。

 思いかえすに、小学生だった僕に初めて「ヴァ」の発音を要求したのも、
 やはりファイナルファンタジーの「シヴァ」だった。

 ファイナルファンタジーならきっとやってくれる。
 
■2009-05-23 : 感染列島
 今回の新型インフルエンザ騒動で学んだことは多い。

・意外にも不織布マスクはウイルス対策に効果がある。
 どう頑張っても喉を保湿する効果しかないと思っていたのに、飛沫感染をガードする効果はバカにならないらしい。

・パンデミックはスゴイ。
 デミック系のじゅもんは、エンデミック→エピデミック→パンデミックの順に強くなる。
 主に攻撃範囲が広くなる。

・種族全体を指すときは、豚はPigでなくSwineという。
 黒豚はドイツ語でシュヴァルツ・シュヴァイン!
 なるほど英語にもSwineという言葉があったのか。

・いざというとき頼りになるのは政府でなく地方自治体。
 ある意味、今回の弱毒性ウイルスは、次に起こる本当の殺人ウイルスに備えるための、行政に対する予防接種だったのかもしれない。
 
■2009-05-24 : ようこそプリンセス
 俺の実家を支配していた女王・りんりんさん。
 りんりんさんが崩御してからもう1年半が過ぎ、
 プリンセス・えも子ももう10歳になる。

 そろそろ、えも子には女王として即位してもらって、
 新たにプリンセスを迎えようという話が頻出するようになった。
 実家ではそういう決まりになっている。

 近所で餌付けしている半ノラ猫が、子猫を産んだという話が飛び込んできたのは、そんなときだった。
 様子を見に行くと、シャム系のお母さんが5匹の子猫を連れていた。
こねこたち
折り重なる子猫
 一匹だけ、黒い奴がこっちを見つめている。
 どうやらこの子はメスらしいので、この子を迎えることに決めた。
こねこたち
ヒメサマ
 親兄弟との別れは辛かろうが、シェーンブルンからヴェルサイユに嫁いできたマリー・アントワネットの気概で頑張ってほしい。

 フフフフフ。名前がほしいな。
 このシュトロハイムが名づけ親(ゴッドファーザー)になってやるッ!
 そうだな……「シャムの中にいた黒い奴!」という意味の
 「シャムシェイド」というのはどうかな!


 案の定、呼び名が安定しない。
 
■2009-05-26 : ポメラと高齢者
 デジタルメモ・ポメラを買った。
 試しにさっそく文章を書いているが、意外と悪くない。
 キータッチが特にいい。小ささを全然感じさせないキーボードでガリガリ打てる。

 そもそもポメラとは何か?
 なんのことはない、折りたたみキーボードに白黒の小さなディスプレイがついているだけの、テキストファイルを作るだけの装置だ。

 そんなものを2万7千円も出して買うのか?
 買うのである。
 これはそのまま、実家のばあさんの手に渡すつもりだ。

 実家のばあさん?
 ロクに外出もしない高齢者に、こんなモバイル用ド真ん中のデジタルガジェットを与えて意味があるのか?
 あるのである。

 実家のばあさんの趣味は、エッセイやら童話やらを作ることだ。
 20年前くらいにワープロを購入し、それでいろいろ書いてきた。
 ワープロっつっても、当然Wordや一太郎じゃあない。
 ソフトじゃなくってハードのワードプロセッサだ。
 当然、もう売ってはいない。
 ばあさんのワープロは虫の息だ。
 いい加減、いまのパソコンのOSでも読み込めるテキストを書けるようにならないと、ワープロの死亡とともに筆を折らざるを得なくなる。

 実家にはWindowsマシンがあるので、Wordの使い方を教えようかとも思った。
 だが、ばあさんはマウスすら使えない。
 ワープロを使うために、まずOSの使い方から覚えないといけないのは、高齢者には相当ハードルが高いといえる。だいたい、電源を投入して即座に文書が書けた20年前のワープロに比べて、今のパソコンの起動時間はなんなのだ。
 まったくもってWindowsは不便だ。

 そこで俺はこのポメラに思い至った。
 ばあさんはワープロで文書は作るが、文字に修飾などしたことはない。というか、やりかたを知らない。プレーンなテキストを書くだけだ。
 ならば、この「テキストファイルを作る」ことのみに特化したポメラは、ばあさんのニーズを満たす最小限の装置ということになる。一見、小さくて高齢者向けとは思えぬポメラだが、機能を絞ったという点では簡単ケータイのような一面がある。小さいのがむしろネックなくらいだ。
 印刷だけは家族がWordか何かに流し込んでやらないといけないが、それも大した頻度ではないだろう。


 試しに購入の経緯を書いてみたら、あっさりこれだけの長文が書けてしまった。
 入力には全くストレスを感じないどころかテンションが上がる。
 
■2009-05-30 : 食パンの食
 なぜ「食パン」は「食」という言葉を冠しているのか?
 この疑問にとりつかれ、周囲に聞いたり調べたりした結果、いくつかの仮説があるものの決定打はないことがわかった。

・消しパンとの対比説
 デッサンなどで使う消しゴム用のパンと区別した、という説。
 思わず納得してしまう信憑性をもつトリビアだが、冷静に評価すると怪しい。
 パンはもともと食べるものであり、西洋画が入ってきた時にもその価値観は同じだったはず。そんななか、美術というごく一部の世界で使われていた言葉が、一般市民の価値観を凌駕できたかというと疑問が残る。

・「本食パン」説
 洋食の基本である、という意味で「本食」と呼ばれ、それが略されたという説。
 この説もあちこちで見受けられ、説得力がある。
 しかし「基本である」という立場を重視するならば、略したとき「食パン」になるだろうか?「本」のほうが残るべきではないだろうか?
 同様の理由で「主食パン」説も受け入れがたい。菓子パンも食べるものだからだ。

・フライパンとの対比説
 最初、まったくくだらないと思って却下した説。
 しかし前の2つの説と同じ視点で検討すると、意外に悪くない気がする。
 資料が見つからないのでまったくの憶測だが、洋食が日本に入ってきたとき、料理人は「食パン」と「フライパン」という2つのパンに出会った。
 片方は食べるもので、片方は明らかに食べられないものだ。
 料理人が「食パン」と呼びはじめたなら、その料理をいただく一般市民にも定着する可能性はある。

 なにより、「パンはパンでも食べられないパンはなーんだ?」という古典的なぞなぞの存在が、この説を後押ししている。
 これほど反論の余地が多く、いまや子ども相手でも通用しないであろうなぞなぞが、なぜ生まれ、なぜ生き残っているのか。
 こういった歴史的背景があるとすればそれも納得がいく。

 まったく事実とは異なると思うが、「納得」が事実に優先することが稀にある。