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◆不定期日記ログ◆

LOG 2006-12

■2006-12-01 : ネアンデジタール人
 買い替えが追いつかないだの受信地域に差があるだの、いろんな不安が取りざたされた地上デジタル放送だが、どうやら全国区でスタートしたらしい。

 そんな不安の中でもたびたび言われるのが認知度の低さだ。
 これはもう完全に略称の問題だと思う。
 「地デジ」だぞ「地デジ」
 地上デジタル放送がどんなに素晴らしいモノだったとしても、また各メディアを総動員して広報したとしても、この「ちでじ」という美しくない響きが日常会話に浸透しきることはないだろう!と断言できるくらい響きが汚い。
 変換すると「血で痔」とかになってしまうからさらに印象が悪い。
 そんなんだから流行語大賞候補にすら挙がらないのだ。

 他に略しようがないので仕方ないが、略しようがないのを変に略すこともあるまい。
 略せないのなら、周知のために愛称や通称を用意すればいいだけのことだ。

 もしこれが最強に響きのいい、耳にすっと入ってきて聞き逃さないような言葉で置き換えられていたら、ガンガン周知されていったはずである。
 たとえば…
 おっぱいとか。

 「おっぱい放送、1日より全国スタート」

 これはすごい勢いでテレビの買い替えが進むぞ!
 だがこれでは周知というより羞恥だ。無念。
 
■2006-12-05 : 言葉の射程外
 言葉にも射程距離がある。
 そして、なんらかの力によって言葉が急に射程距離の外に飛び出した場合、その言葉の意味が変容してしまうことが多々ある。

 たとえば「まったり」
 方言という射程距離を飛び出したこの言葉から、「薄味のまろやかさ」を感じ取ることはもはやできまい。
 一般化により、味覚の世界だけでなくマルチに活躍している言葉である。

 たとえば「ホームページ」
 もともと、一部のインターネット野郎までが射程距離だったこの言葉は、パソコンとインターネットの急激な普及によりその射程距離をオーバーした。
 その結果現在では、webサイト一般のことを示す言葉として定着している。

 たとえば「イナバウアー」
 僕らは金メダルフィーバーの中で、あっという間に「イナバウアー=反る」の等式が成り立っていったのを体験している。
 これはもともとの射程距離が極端に狭かったせいもあろう。

 たとえば「萌え」
 これはもともと定義があやふやしていたが、「『萌え』を三次元の女に対して使うなんて理解不能」という主張を見ると、どうやら射程距離を突き抜けたようだ。
 もっとも最近は「萌え=メイドさん」という大づかみ極まりない認識になりつつあるのが心配ではある。
 これはサブカル界隈から一般化されたせいで射程距離を突き抜けた例だが、そんなサブカル界隈の中ですら「ツンデレ」の拡散・変容に対する苦言がある。
 こうなるともう一種の入れ子構造だ。

 ところで、さきほどの「『萌え』を三次元の女に対して使うなんて理解不能」というような主張は、「『鳥肌が立つ』を感動の表現に使うなんて理解不能」というような年配の方の苦言に似ている。
 年代の経過による言葉の変容と、大衆化による言葉の変容は、「言葉を使う人間の性質が多様化する」という点で、同質である。
 年代経過による変容を「言葉の乱れ」とするのに反対の立場である僕としては、大衆化による変容も認めなければなるまい。
 言葉の意味は常に多数決。
 真逆の意味になるのは困るが、多少の変容は許容していきたい。

 しかしッ!
 「確信犯」は許可しないィィィーッ!!

 どこかのblogで言っていた…
 (考えてみれば「blog」も大衆化によって変容しつつあるな)
 「確信犯」の代表は「プッチ神父」であると!
 プッチ神父は倒される瞬間まで自分の「正義」を疑わなかった!
 ただの開き直ったルール違反者にはない…覚悟と凄みがあるッ!!
 プッチ神父と並ぶ自信があるヤツだけが「確信犯」を名乗れェーッ!!

 …と思ったが、これで「あっ!理解『可』能」と「納得」してくれるのはジョジョ紳士だけなので、別に「確信犯」の誤用をいまさら気に留めたりはしない。
 むしろ誤用された確信犯に、想像を超えた正義があると脳内で解釈しよう。

 確信犯で傘を盗んだ奴は…
 じつは「傘の自由化」を掲げて戦う革命家である!!

 おお、なんだか日本中が戦国時代に突入したような感じだ。
 
■2006-12-13 : ブラックリスト
 漢字テストの例文を作るのは意外と神経を使う作業である。
 出題すべき漢字が出ていればどんな例文でもいいわけだが、逆に言うと出題すべき漢字はなんとしても押さえなければならないのである。

 その上で邪魔になるのが同音異義語の存在だ。
 たとえば小学校三年生で「しん」「りょく」を出題したかったとして、問題文を「森のしんりょくが美しい」なんてやってしまうと、「深緑」「新緑」のどちらも正解になってしまい、しん」を書かせる目的は達成できない。

 短い問題文のなかでこの二つの違いを明らかにするのはとても大変なことなので、「しんりょく」とまとめることをあきらめてバラバラに出題するわけだが、そうなると今度は「りょく」を含む言葉がなかなか見つからなくて困ったりする。(小三レベルの言葉がない。「緑化」でギリギリ)
 似たような罠に「玉・球」「意思・意志」「辞典・字典」「競争・競走」などがあり、これらも短い問題文のなかで最大限に工夫しなければ出題がままならない熟語である。
 「たま」なんて「はやいたまをなげる」くらいしか適当な例文が見当たらないぞ。

 さらに出題者を悩ませるのが、「探検・探険」のような二通りの書き方のある熟語だ。
 これはひどい。あなたは説明できるか!?「探検」と「探険」の違いを!
 意味の違いはない。手持ちの辞書でも説明はできないのだ!
 というわけでこちらもしかたなくバラすことになるわけだが、「険」もまた平易な熟語がなくて困ったりするのだ。
 似たような罠に「容体・容態」「交代・交替」「根本・根元」「河原・川原」などがある。どれもうっかり問題文として出してしまいがちな熟語である。

 そして、裏の裏というべきか、ここまでの罠を注意深くつぶしてきた出題者を餌食にする罠も存在する。
 「収める」「修める」「納める」「治める」などは、当然使い分けに注意すべき漢字として学ばせていくわけだが、こういった言葉のなかにも定義があやふやなものがあり、それらには決して触れてはいけない。
 たとえば「測る」と「量る」
 測定器を使ってはかる場合は「測」、升やはかりを使ってはかる場合は「量」、なんて説明をしている辞書もある。
 距離や面積は「測」、容積や体積は「量」、なんて説明をしている辞書もある。

 じゃあテメー肺活量をはかる場合はどっちなんだ!
 ありゃccだから体積だが、測定器を使って測るじゃあねーかッ!!

 「相手の真意をはかる」なんかも、辞書によって「量」だったり「測」だったりするから困る。IMEは「どっちでもいいよ」って言ってる。

 こういった単語は全てブラックリストに入れて隔離し、新出漢字などでどうしても出題しなければならないときだけ保護観察つきで出所させるべきだろう。
 漢字テストを作る側こそがもっとも漢字に悩まされているのだ。
 
■2006-12-15 : グラビアクイーン
 かでなれおん…?

 なにソレ、一青窈の新曲?
 
■2006-12-18 : 今いくよゆくよ
 「行く」の読み方は「いく」なのか「ゆく」なのか?
 普段たいして気にも留めないが、どちらが正しいのかを決めるとなると困り果てる。

 小学校の国語教科書を参照すると、「行」という漢字はまず「いく」の読みを習う。
 しかし国語辞典で「いく」を調べると、「ゆく」へ飛ばされる。
 「いく」が慣用で、「ゆく」のほうが正式なのか?
 たしかに「ゆく」のほうがカッコイイというか詩的文学的な響きがある。
 我はゆく。さらば昴よ。

 とりあえず広辞苑を参照すると、「いく」と「ゆく」は奈良平安の時代から併存していたということが書いてある。どうやらどっちが古いとか正しいとか古式ゆかしいとかそういう問題ではないらしい。

 しかしこの二つ、完全にコンパチなわけではなく、どちらかしか使えない文脈がある。
 「ゆくてをはばむ」とか「ゆくゆくは」なんてのは「ゆく」しか使えないし、
 「たいぶ歳がいってる」とか「~とまではいかないが」なんてのは「いく」の文脈だ。
 というか「いく」は「いった」にできるが「ゆく」は「ゆった」にはできない。
 そう考えるとどうも「ゆく」の正当さが怪しく思えてきた。

 漢字テストや作文で「言う」のことを「ゆう」と書いたらバツだ。
 実際の発音ではしばしば「ゆう」になるので、子どもはかなり間違うらしい。ここは国語では徹底的に指導する。
 だが「ゆく」をカッコイイと思うならば、「ゆう」も容認してやるくらいの気概を持たねばダブルスタンダードではないのか?

 よく考えたら「良い」も「よい」と「いい」が併存する。
 こちらも「いく」と同じく、ア行のほうが口語的という認識だ。
 だが漢字で書いた場合はたいてい「よい」と読むので、「いい」が「良い」の中から独立戦争を仕掛けたような状態だろうか。

 ヤ行とア行の分離独立が進む「良い」
 ヤ行とア行のにらみ合いが続く「行く」
 完全にア行の支配下となった「言う」

 冒頭のつまらない疑問から、意外な領土問題に発展した。
 とりあえず「ゆう」が逆転勝訴を勝ち取るかどうか、静観したい。
 
■2006-12-24 : レンズカバー
 ケータイを替えたい。

 別に今のケータイ(mova SO506iC)に不自由しているわけではないが、いや、不自由していることにはしているのだが、問題はそこではない。僕は例のソフトバンクの0円問題以来、
「要するに毎月の基本使用料の中にはケータイ本体の金額がローン的に含まれてるんであって、2年契約で買った端末は2年以上使ったら本体代のぶん丸損なんじゃね?」
 という疑惑にとりつかれているのであり、この件に関してはカラクリを誰か詳しい人に問い合わせたい所存である。

 で、先々代のauのヤツ(武装錬金のカズキが持ってるヤツ)から今のケータイに替えてから、そろそろ2年たつ。ぼちぼち変更してもよいころだろう。ていうか、電波問題が解決した以上もうmovaでいる必要はないだろう。
 新しいケータイに替える!

 ミュージック?おサイフ?GPS?カーナビ?ワンセグ?バイオ認証?
 そんなものは気にしねー!
 俺が欲しいのはカメラだカメラ!
 「ケータイのカメラに期待するな」とは言うけど、今の130万画素のカメラでも、web用に街で見かけたちょっとしたネタを撮るのには十分すぎる性能だ。IXYも持ってはいるが、ちゃんと役割分担ができている。

 それが何だ、いまやケータイに320万画素のとかがくっついてんのか!
 こりゃあスゲェと思いつつ店頭のモックをいじって回ってみたが…

 ダメだッ!耐えられねぇ!!

 何が耐えられねぇって、そんな高性能なレンズが外部に対してモロ出し無修正なのが耐えられねぇ!!
 部屋の鍵と一緒にポケットに入れてたら320万画素にキズが!みたいな状態をリアルに想像してしまって耐えられねぇ!!
 今のSO506iCを選んだのも、レンズカバーが付いていたから!それだけだ!
 くそっコレはダメだ!これもか、これもむき出しか!
 おまえはアレか!ミニ四駆に超絶モーターとスゲー電池を詰んで、シャーシを限界まで肉抜きして走らせてボディもろともクラッシュさせるスペック厨の小学生か!

 そんなわかりにくいたとえを引き合いに出すほどのディスペアーに包まれた僕は、最終的にドコモのD903i、D902iSにたどり着いた。というか、それ以外の選択肢が一撃でなくなっていた。
 いいだろう、「高性能なレンズはしっかり保護したい」というニーズを忘れずにいてくれた唯一のシリーズよ。むき出しの画面には保護フィルムが貼れる。だがレンズはカバーがないと無残に傷ついてしまうのだ。お前をパートナーに選ぼう。

 さていくらかなっと…

「FOMA D902i・D902iS・D903i 電池が爆発炎上するので販売停止中」

 …。

 …なあいいだろうサンタさんッ!
 取り引きしようぜ!損はないだろォ!!
 オレに『電池パック』をくれッ!!
 
■2006-12-29 : やりたい邦題
 結局観てはいないのだが、「パイレーツオブカリビアン デッドマンズ・チェスト」というタイトルが気に入らない。

 映画の解説にでたいてい「デッドマンズ・チェスト(死者の宝箱)を手に入れる~」みたいにカッコつきで説明されている。とても不恰好だ。最初から「死者の宝箱」という副題にしておけばこんな無粋な解説は要らない。だいたい、「ちぇすと」という語感から箱のようなものを想像できる日本人がどれくらいいるだろうか?

 「スターウォーズ」も見よ!「ファントム・メナス」の浮きっぷりを!他5作は「シスの復讐」とかそんなんばっかだぞ!
 もし「ハリーポッター」の5作目が「ハリーポッター ジ・オーダー・オブ・ザ・フェニックス」とかだったらどうか?
 「不死鳥の騎士団」のほうが、ファンタジー感も親しみやすさもわかりやすさも格上だ。

 しかし、タイトルを変える、というのは非常に大変で、重い責任のかかる作業だ。
 「Half-Blood Prince」がなんで「謎のプリンス」なんだよ!みたいなツッコミにも晒されるし、作品の看板たる題名をいじるということは作品全体に影響を及ぼすことになるからである。

 大量の輸入作品が流れ込んでくるこの時代、この重大な責任を持つ「邦題をつける」という作業を、確実に責任をもって遂行することはできなくなった。
 しかし、原題をそのままカタカナ英語化することで、その責任を回避できたと思うのは間違っている。
 なぜなら、使う言語が違えば、語感の受け取り方も変わってくるからである。

 ポケットモンスターが英語版になったとき、ピカチュウはそのまま「Pikachu」となった。たいへんわかりやすくてよい。
 だがおそらく、英語圏の人は「PikaPika」という響きに光ってる感じを求めることはできないだろうし、「Chu」にもネズミの鳴き声を感じることはないであろう。
 「Meowth」に変更されたニャースはその点幸せである。

 訳して邦題をつけるにせよ、カタカナ表記にするにせよ、その決定には作品全体に関する責任があるのであり、カタカナ表記は決して逃げの手段ではない。
 「Pocket monster」が性器を示す隠語であるため「Pokemon」になった、という話は有名だが、そういった辞書外の意味や、不都合な単語との類似、言葉から受けるイメージの違いなども考慮した上でカタカナ表記しなければならないのである。
 それは新たに邦題をつけるのと同じくらい大変なことではないだろうか。

 ……。
 だから、僕が「エラゴン」のことを「エロゴン」と言ってしまったのは、僕がエロいからじゃなくてそういう点に無頓着なスタッフの側に全面的に責任があるんだよ。
 
■2006-12-31 : よいお年を
 最近の『テニスの王子様』の展開を見るに、
 青春学園の高等部は熱血高校ではあるまいか?

 という話を友人と真面目にしたよ。
 じゃあ鐘つきに行ってくる。