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◆不定期日記ログ◆

■2016-05-18 : 右も左もわからない
 「左右盲」という言葉があることを知り安心した。


 別に名前がついていようがいなかろうが、俺がとっさに左右の方向がわからないことに対してなんの利もないんだが、名前があると多少は安心感が生まれるのは不思議だ。「多くの人に共有されている事象なのだなあ」と感じることができるからだろうか。

 学生のころ、視力検査で左右を全部キレイに間違って答えたことがある。幸い、全部キレイに間違ったために判定者が気を利かせて直してくれたので視力は落ちなかった。今は視力検査のマシーンはジョイスティックめいたもので解答するので、左右の名称を気にすることなく検査できるようになった。
 だが胃部エックス線検査はダメだ。バリウムと発泡剤でいっぱいいっぱいのところに「右向きになってください」と言われても「いつの時点の誰から見て右だ!?」と困惑するしかない。


 俺が偉大なる11次元宇宙からこの3次元宇宙にやってきて30年余が過ぎたが、いまだに「左右」という概念はうまく飲み込めていない。だいたい左右というのは2次元世界の概念ではなかったのか。なぜ自由にカメラアングルの変わる3次元世界でメインストリームになっているのか。あなたがたは初代バイオハザードのラジコン操作を煩わしく思わなかったのか。

 こういうことを訴えても「左右盲」でないこの宇宙の人間には伝わらないだろう。それを承知で言わせてもらえば、検査室の中でもっとも激しく動き回り回転する俺を基準にして「右/左」の号令をかけるのは、どう考えてもおかしい。部屋の中で固定されているもの、たとえば「入口」「奥」「窓」といったものを基準に「扉の方を向いて」などと指示を出すほうが道理に適っているのではないか。
 たとえば対面で会話しているとき、左右の概念は何の役にもたたない。「右の……あっ俺から見て右の」と補足しなければならない欠陥のせいで、方向を指定するためだけに視点の主導権を奪い合う必要がある。なぜこんなことで人間どうし争わなければならないのか。通路や窓などもっと中立で適切なものが他にいくらでもあるのに。

 おそらく俺は自分の内側に左右という概念を持っていないんだろう。小さいころから「お茶碗を持つほう、お箸を持つほう」という覚え方には疑問を呈していた。左利きの人の人権を踏みにじっているからというだけでなく、そもそも食事の場面を脳内で描いたとき、そのカメラは一人称視点とは限らないからだ。普通の人は、不自然に手が写りこんだFPSの画面みたいな視点を思い描くんだろうか?それでなくとも、左右の判断を迫られるたびに「そういえばあのとき……」と回想シーンが入るのは、演出のテンポが悪すぎるのではないだろうか?

 それでも学生のころまでは、左手首にある小さなホクロを意識することでなんとかなっていたのだ。ことあるごとに、時計を見るような仕草で左手首を確認するのは面倒このうえなかったが、それでもこれのおかげでRPGツクールで「左に5歩移動」などのコマンドを打つときに8割がた間違わずに済んでいたのだ(間違わなかったとは言ってない)。
 たぶん、このホクロを頼ってしまったのが、自分の内側に左右の概念が育たなかった原因なのだろう。やがて成人し、このホクロが「もう僕の役目は終わったんだよ……」と薄れ消えゆくと、俺は立派な左右盲の人間になってしまった。現在左手には結婚指輪がはまっているが、いまのところ左右の基準としてこれを意識したことはない。


 とりあえず現在は、車の運転においては「めんどくさいほうが右折」という認識でなんとか凌いでいる。ただこれは自分自身の自動車学校の記憶に結びついているため、助手席やカーナビの指示で左右が出てくると、とっさには判断しかねる。カーナビがあるなら東西南北のほうがはるかにわかりやすいし、左右で言われるくらいなら「3時」「9時」と言われたほうがまだわかる。
 どちらかというと助手席に座ったときが問題で、これについてはもう「あっちに曲がる」「こっちに曲がる」と言うしかなく、まったく運転者の役に立たない。ワイフがゲーム中に敵に狙われていることに気づいても「あっちから襲ってくるぞォォーッ!!」としか言えず、己の無力さにうちひしがれている。左右盲では愛する人を守ることすらできぬのだ。娘にどうやって左右の概念を飲み込ませればいいのかもわからない。


 「鏡はなぜ上下反対でなく左右反対に映るのか」を考えたことはあるだろうか。鏡が左右反対に映るように見えるのは、たまたま人間が左右対称っぽくつくられているからで、左右なんていう概念はその程度のものなのだ。シオマネキがうらやましい。たぶんあいつらの語彙に「右/左」はないだろう。動き方も2次元っぽいし。