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◆不定期日記ログ◆

CATEGORY 考察

■2019-03-01 : こんぺいとうコンビネーション
 たまにカロリー補給のために春日井製菓のこんぺいとうを買うんだけど、その袋にこんなことが書いてある。
春日井製菓のこんぺいとう
「5種類の混合には注意しておりますが、全種類入らない場合があります。」

 あるのか? 俺は直ちに動き出した。


 容量は105グラムとある。10粒まとめて計量しおよその重量を出して、1袋平均116粒と推定。こんぺいとうの種類は「プレーン」「ぶどう」「もも」「りんご」「サイダー」の5種類である。

 何はともあれ、入っている粒の組み合わせのパターンを数え上げなければならない。となると5種類の粒が116個あるから……5の116乗!? いやまさかそんな無慈悲な数がいきなり出てくるわけがない。

 順番は関係ないわけだから、とにかく最終的に入っている数のパターンを知りたい。それなら多少は計算可能な数字が出てくるはずだ。ここで俺はセンター試験でアホほどやった Combination のことを思い出すことになった。
 この問題は、センター試験でアホほどやった「116個のボールをA、B、C、D、Eの箱に分けるパターンは全部で何通りあるか求めよ」という、いわゆる順列組み合わせの問題ではないか。いやさすがに試験では116個とか無謀な数ではなかったけれども。

 となれば復習タイムだ。
 たとえば「味が3種類あるこんぺいとうが無数にあり,その中から5つ取り出したときのパターンの総数」は、「互いに区別のないボール5個を、区別のある箱3個に分配する」と置き換えることができる。この場合の計算はこんな感じだった。
計算過程1
 これを応用して、5種類のこんぺいとうが116粒入っている場合のパターンの総数は、
計算過程2
 8214570通りと計算できる。……①


 次に、先ほどの条件に「どの箱もひとつ以上ボールが入っていること」という条件を加える。これが「全種類入っている場合」のパターンとなる。0を除くのもセンター試験でアホほどやったパターンだ。この場合はスキマに注目する。
計算過程2
 6913340通りあることがわかった。……②

 そして①-②により、「全種類が揃わないパターン」の総数が求められる。その数なんと1301230通り。
 あとは1301230÷8214570≒0.158で答えはおよそ15.8%……ってアレ?


 いい加減にしろよな……15.8%の確率で揃わないなんてことがあるはずがないじゃあないか……俺が計算をミスったと言いたいんだろ!? そんなことはわかってるんだよッ! だから計算機とエクセルさんとコンビネーション計算サイトで3回も検算してんだよ俺は! その結果がこの仕打ちか! 116粒もあるって言っときながらなんで6袋に1袋くらいの割合で不良品が出る計算になってんだこの……クサレ脳ミソがァーッ!


 ……冷静になれ。人を見下す言い方は良くない。どこかに落とし穴があるはずだ……。
 事例をもっと単純にするんだ……区別のないコイン2枚を投げたときに出るパターンは「表・表」「表・裏」「裏・裏」の3パターン……しかし「表・表」が出る確率は1/3では……ない!
 ああっ……! そうか! パターンを列挙したからといって、どのパターンも等確率で出るなんて保証はない!
 僕は馬鹿だ……。Combination のことにかまけるばかり、こんなに大事なことを見落とすなんて……。


 こうなれば統計的手段に訴えたほうが早い。俺は大量のデータを集めることにした。
 ここで実際にこんぺいとうを買い占めて開封し内訳を数えていったほうが“映える”のはわかっているが、時間も予算もないのでヴァーチャルな解決法を採用する。「ランダムに0から4の箱を選び数字を+1することを116回くりかえす」だけのプログラムを書き、それをさしあたって5000周ほどぶん回した。

 こうして一瞬にして5000袋の仮想こんぺいとうが開封され、内訳が明らかになった。
 出力された結果をエクセルさんにコピーし、試しにプレーン味の個数を度数分布表にぶちこんでみると……。
ヒストグラム
 こいつ……見たことがあるぞ……たしか正規分布って奴じゃあないのか?

 正規分布と仮定してしまえばやるべきことは定まってくる。必要なのは平均値と標準偏差だ。それぞれ AVERAGE 関数と STDEV.S 関数で引っ張ってこれる。
 あとはその2つを NORM.DIST 関数に食わせてやれば、プレーン味が23個入っている確率やら10粒入っている確率やらを個別に推計できる。1粒も入っていない確率もこれで出すことができるというわけだ。

 計算してみると、平均値に近い23粒を中心に、16粒~30粒の間に収まる確率が90%を越える。今回の5000オーダーの中で最も少なかったのは8粒で、確率としては0.02%。そして待望の1粒も入らない確率は、およそ0.0000062%であった。

 これが5種類それぞれに起こりうるので5倍する。2色以上欠ける確率が重複するので厳密に言うと5倍でないが、確率が確率なので無視してしまおう。となるとおよそ0.00003%。これが冒頭の疑問への答えとなる。

 というわけで結論ッ!
 このこんぺいとうの注意書きが機能する確率は、およそ1000万分の3!


 年末ジャンボ宝くじの一等がヒットするのがおよそ1000万分の1と言われているのでとんでもない確率のように見えるが、それでも年間に100万袋くらい生産し続ければ、数年で遭遇しないともいえないくらいの確率である。少なくとも猿がワープロでシェイクスピアの一節を打ち出すよりは高いと思われる。春日井製菓の末永いご発展をお祈り申し上げます。

 この記事は脳内格闘の過程を書き出したものなので、統計ガチ勢や数学ガチ勢からすれば非常に稚拙なものと思われますが、暖かい眼で見守っていただければ幸いです。
 
■2018-05-31 : ルールーさんと知恵のプリキュア
 AIがプリキュアになる時代に、我々人類は何をすればいいのだろう。


 娘氏もだいすきな『HUGっとプリキュア』の追加メンバーとして、ルールーさんのプリキュア昇格がほぼ確実となった。
 観てない人のために説明すると、ルールーさんは未来から来た敵組織のアンドロイドである。外国人少女のふりをしてスパイ活動を行っていたが、プリキュアシリーズにおいて主人公と年齢の近い敵陣営の女の子キャラは必ず改心し、あわよくばプリキュア化するのが定例である。ダークプリキュアさんの話はおいといてくれ。

 今回特筆すべきはルールーさんが機械人形だということである。人間社会に問題なくとけこんでいることから、おそらく真の意味でのAI、人工知能を持っていると考えられる。そしてそれとは別に、一瞬で本の内容をスキャンし暗記する、コンピューターとしての能力も持っている。

 そこで気になるのが、すでに「知恵のプリキュア」を掲げているキュアアンジュさんの立ち位置だ。いまだに頭脳明晰キャラといえば、暗記力や計算が早いといったコンピューター的な描写がされることがあるが、キュアアンジュさんは「わからないことを的確に調べる」ことをもって「知恵」とするという、今の時代に即したキャラ作りがされている。そこにコンピューターの少女がやってきた。

 完全に推測になるが、隣にコンピューターそのものが並び立つことによって、「知恵のプリキュア」としてのキャラクターは完成するのだろう。知識量を誇る時代はとっくに終わった。我々が大学入試などで測ってきた知性は大部分が無駄になり、まもなくAIが今ある仕事の半数を人間から奪う。そんな未来に我々は何をすればいいのか、AIが真似できない知性とは何なのか。それを提示するためにキュアアンジュさんというキャラクターが配置されたのだ。

 くしくも今年のサブテーマは「職業」だ。AIに置き換えられない職業とは、AIにない能力とは……そういったものを子どもたちに伝えようという試みが始まったのだ。プログラミング教育を含む新しい学習指導要領よりも先に、プリキュアがそれをやろうというのだ。
 エールさんが感情の機微を読み取る力を、エトワールさんが汎用的な身体能力を、マシェリさんは未加入なのでわからないけど音楽とか芸術……?を、それぞれ提示していくに違いない。そんな中、教育者を含めていまだに具体が見えてない人の多い「人間の知性」をアンジュさんがどう提示してくれるか、期待をもって注目したい。



 ……だから「その時不思議なことが起こった」→「人間になってる! やったねルールー!」みたいな展開は絶対勘弁してくれよな!! 頼んだぞ!!
 
■2018-02-22 : おしっこしたあとブルッてなる奴のこと
 39.7度の高熱に倒れたので、おしっこしたあとブルッてなる奴のことを考えていた。
 あれの正式名称はシバリング(shivering)というらしいがそんなことはどうでもいい。

 あの震えが起こる理由、はるか昔に「体温の低下のせい」って説明をうけて納得したまま生活してきたけど、よく考えたらおかしいのではないか。
 俺の膀胱の中で39.7度に保たれた尿を外に出したからといって、なぜ俺の体温が下がるのか?
 
 電気ポットの内部を想像する。
 圧力によってお湯を注いだあと、電気ポットの内部にはたぶん外気が入る。それゆえ室内の温度は下がる。これはわかる。
 だが膀胱は確かに温かいものを外に出しているが、出すだけでなにも入っていかない。体温が下がる理由がない。この理屈でいえば、排泄のあと冷たい水を飲んだときに震えがこないとおかしい。

 なのであれはただ体が「カ・イ・カ・ン……」と言っているだけなのではないか、という悲しい仮説だけが残された。調べてみると「原因は不明」とするソースも多いため、あながち間違ってはいないのではないかと思っている。

 こうなると冒頭の「正式名称はシバリング」というトリビアもガセになる。シバリングは「身震い等による体温調整を行う生理現象」だからである。「シバリング」と「しばれる」の語感の共通性については、おそらくもうさまざまな論文が書かれているだろうから調べるのをやめた。


 翌朝、熱は平熱まで戻っていた。
 
■2017-06-22 : ゾゾという町について
 ZOZOTOWNで6時10分50秒ちょうどに注文を確定すると、荷物の代わりにかいてんのこぎりが届くという都市伝説……。我々はその真偽を確かめるためスタートトゥデイ本社に向かった!

 ……という話ではない。ファイナルファンタジー6のゾゾの町のことを考えていた。あのスラム街には不思議な魅力がある。謎の高層アパートや胡乱な住人、降り止まない雨、町と見せかけて実質ダンジョンである点など、あの世界の中でも異質な存在感を放っているのは間違いない。


 それにしてもこのゾゾという町、成り立ちを想像すると謎が多い。
 まずあの高層アパート。FF6の世界でこれほど高い建物がある町はない。各地の城よりも圧倒的に高い。そしてそれがあの山の中にそびえている。すぐ裏がゾゾ山なのでかなりの山間地と予想される。周囲の景観からかなり浮いているといっていいだろう。

 そしてそれがスラム街になっているということ。スラムというのは普通は、急速な都市化と人口集中によって、大都会の周辺に人口が溢れて形成されるものなのではないだろうか。なぜ山奥にスラム街が単体で出現するのか。設定上は「貴族の町ジドールからあぶれた貧民の暮らすスラム」ということだったが、それならSaGa2のビーナスの大都会のように、都市のそばにあばら家を建てていくのが自然だろうし、なにより都市部より高い建物の建つスラムというのは想像しづらい。


 そういえば話に聞いたことがある。南アフリカ共和国のヨハネスブルグにはポンテシティアパート(ポンテタワー)という高層ビルのスラムがあるらしい。もともとは高級マンションとして建設されたものの、アパルトヘイト終了後に犯罪集団が侵入し治安が悪化。元々住んでいた白人富裕層は退去し、そのままガラの悪い集団に占拠されて無法地帯と化した、というものだ。

 ゾゾはまさにこれだったのではないか。最初はジドールの富裕層が、自分たちを貧民層から隔離するためのゲーテッドコミュニティとして建設したのではないか。それがどこかのタイミングで貧民たちに乗っ取られ、でも隔離は成功したのでそのうち現在の形におちついてしまった、という流れであればいろいろ納得がいく。特にジドールの富裕層は、高い場所に屋敷を構えているほうが偉い、みたいな価値観があったはずなので、財を投じて山間地に高層ビルを建ててしまう可能性はある。


 確かなことは何も言えない。ただスラム・シャッフルが名曲だということだけは確かだ……私からは以上です。
 
■2016-11-11 : 正しい字形という幻
 小学校社会のテストの東西南北を問う設問で、選択肢に書かれたゴシック体の「北」の文字をそのまま解答欄に転記したところ、「字形が違う」としてバツをもらった、という悲しい話を耳にした。

字体の違い
参考:ゴシック体と教科書体
 ご存じの通り、印刷物やweb上にある漢字は、国語の教科書で習う形とは異なる。それはデザイン上のことであったり、読みやすさの工夫であったりするわけなんだけど、小学生にはまず基本となる手書きの字形を教え込まねばならない。なので教科書本文のフォントは教科書体で組まれている。教科書体というフォントについては東書文庫の資料で簡単に触れられているが、どうやら昭和12年からいろいろ形を変えて存在しているようだ。

 いま「いろいろ形を変えて」と書いたが、つまりそれは「一口に教科書体といっても各社で微妙に細部が違う」ということを意味する。ひらがなですら、教科書によって「せ」の棒や「ら」の点のはねの有無が違ったりする。ショドーにはさまざまな流派があり、どの流派のセンセイが監修するかによって文字の細部が異なるのだ。

 教科書体ですらこのありさまなので、「正しい字形」などというものが幻想である、ということはおわかり頂けると思う。
 先生がたは何事においても最終的に「通信簿」という形で評価・評定をしないといけない職業なので、つねに「正しい知識が定着しているかどうか」を判断しなければならないという事情はわかる。わかるけど、とめやはねなどを含む「字形」と、ついでに「書き順」についてはもう評価の対象にするべきではないのではないか。

 平成28年2月に文化庁が発表した指針の中でも、

○ 手書き文字と印刷文字の表し方には,習慣の違いがあり,一方だけが正しいのではない。
○ 字の細部に違いがあっても,その漢字の骨組みが同じであれば,誤っているとはみなされない。

常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)について
 とあらためてハッキリと言っており、似たような内容は常用漢字表でも手元の教科書でも触れられている。ショドーのセンセイならばともかく、それ以外のシーンで「正しい字形や書き順」を持ち出すのはリソースの無駄だと思う。ただでさえ日本の小学生は欧米に比べて覚える文字が多いのだ。

 字形や書き順は美しい字を書くための指標であり、こう書くのがオススメ!という情報を最初に提示するに留めるべきで、それを強いて定着させることに意味はない。俺が「ニンジャスレイヤーはこの順番で読むべき!!その他の順で読むのは邪道!!」とか言い出したら「うわ……なんか怖い……ニンジャ読むのやめて家でパラッパラッパーしとこ……」となるでしょう?だからみんなもニンジャスレイヤーを自由な順番で読もう。

 だいたいよォーッ……仮に「正しい字形」ってものが存在して、それを基準に○×が付けられるってんならよォー……なんで俺のご先祖様が戸籍つくるときに名字を変な字体で提出したときに×つけてくれなかったんだよォー!!おかげで変換はできねえわ身分証明は面倒くせえわで大変だっつーのよ!もうお役所は全部その正しい字形って奴で通してくれよ!許さんぞ!教育界という狭い庭でエラそうにしやがって!他の省の官僚も黙らせてみろってーの!


 ……最後なんかすごい私感があふれ出たけれど、まあ文化庁や文科省が「正しい字形はないよ」って言ってる以上、冒頭のような指導は減っていくのではないかと思われる。願わくば渡邊さんや齋藤さんたちが大分裂する前にその価値観が浸透すればよかったなと思う。文字コードが割り当てられてしまってからでは何もかも遅すぎるのだ。
 
■2016-07-08 : アンパンマンの平等性
 アンパンマン主題歌の中に、有名な「愛と勇気だけがともだちさ」というフレーズがある。

そうだ おそれないで みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

「アンパンマンのマーチ」
 この「愛と勇気だけがともだち」というのは、昔から「カレーパンマンとかカバオくんとかは友達じゃないのかよ」というツッコミを生んできた。
 だが実際にアンパンマンを視聴し続けていると、わりと本気であれらは友達じゃなくて、ただの「職務(治安維持)上かかわりのある人々」としか認識してないんじゃ……と思えてきたので考えたことを記録しておく。


 アンパンマンは平等だ。害をなす存在でなければ誰にでも優しく共感を示す。誰かのときだけ特別に大喜びしたり、大声で笑ったりしない。同じように、誰かのときだけ特別深く悲しんだり、怒ったりもしない。

 話は飛ぶが、「食べものの好き嫌いをしてはいけない」という価値観がある。自分は農家の生まれなので当然この価値観を受け入れて生きてきた。
 しかし、本当に厳密に食べものに対する「好き/嫌い」という感情を排除した場合、そこに生まれるのは「食べものに一切執着しない」という無味乾燥な姿勢である。単なる栄養補給のみを目的とした、激しい喜びも深い絶望もない「植物の心」のような食事。健康そうではあるが、あまり魅力的な人生には見えない。

 アンパンマンは本当に厳密に平等なヒーローであるがために、「友達」という概念を失ってしまったのではないか。全員が平等に「友達」であるために、その中から親友や家族や恋人といったものをつくることはできないとするならば、それらは「友達」と言えるのだろうか?
 彼にとってはきっと、創造主であろうが、カバオであろうが、通りすがりの知らない奴であろうが、「困っている人を助ける」という職務上、平等に扱うべき対象なのだ。たぶん彼は、ジャムおじさんの命が危険に晒されても、カバオくんがカツアゲされてるときと同じテンションで「止めるんだーばいきんまん!」と言うのだろう。そんな気がする。


 「愛と勇気だけがともだち」というのは大げさでもなんでもなく、職務に必要な愛と勇気だけを「友達」と定義して、ほかは創造主も支援者も遭難者も全てビジネスのかかわりに留める、という究極の平等性を歌っていたのだ。なんたる孤独なヒーロー像であろうか(明後日の方向を見つめながら)。
 
■2016-06-21 : アンパンマンが描く社会問題の構図
 アンパンマン世界の治安について考えてみた。


 なぜかアンパンマン世界では、基本的にばいきんまんさん以外の犯罪者が出てこない。まれに氷の女王とかが出張ってくることはあるが、それもだいたい彼が絡んでいる。
 アンパンマン世界には彼の他に、窃盗や詐欺を働く者がいないのだろうか。

 以前考察した通り、ばいきんまんさんは常に飢えており、それゆえに食料の強奪などの犯罪を行う。これはつまり「困窮した者が犯罪に走る」ということを暗に示しているのではないか。カバオ君もたびたび飢えているが、それは必ずアンパンマンというセーフティネットによって満たされるため、彼は困窮していない。飢えているのはばいきんまんさんだけなのだ。

 ではなぜばいきんまんさんだけが食料を与えられず困窮しているか。
 すぐ思いつくのは「大食いすぎて他人の分まで食べてしまうから」という理由だが、どうもそう単純ではないらしい。まず変装しているときはいくら大食いをしてもただちに非難されることはない。しかし変装していなければ悪事を働く前から厳しく対応される。まあばいきんまんさんにはこれまで積み重ねてきた前科があるのでインガオホーとは思うが、変装などに関していっさい他人を疑わないアンパンマン世界の住人にとっては異常とも思える拒否反応である。
 そして、ある屋台を襲撃した回では、ばいきんまんさん以上に食料を奪ったドキンさんは一切糾弾されず「ごちそうさまー」と飛び去っていった。ランプの魔神を酷使して常軌を逸した量の食事を用意させたコキンさんも、何ら咎められることはなかった。おなじバイキン星の出身だというのに、ばいきんまんさんだけがいつも「騙したなばいきんまん!」と非難されるのだ。

 つまりばいきんまんさんが食料を貰うことができない理由は「大食いだから」とか「菌だから」でなく「ばいきんまんだから」という一点なのだ。このような循環論法による区別は一般的に「差別」と呼ばれている。


 ここに至って、この構造が示すものが見えてきた。
 アンパンマン世界にばいきんまんさん以外の犯罪者が現れないのは、「差別が貧困を生み、貧困が犯罪を呼ぶ」という社会の仕組みを子どもたちにわかりやすく示すためだったのだ。アンパンマンはズートピアよりずっと前から、擬人化キャラクターによる社会風刺を行っていたのだ。なんたる含蓄に富む物語であろうか(明後日の方向を見つめながら)。
 
■2016-01-06 : 冬の読書感想文
 イェスパー・ユールの「しかめっ面にさせるゲームは成功する」を読んだ。


 普段新書か文庫しか買わないくせに、なんでまた2000円もする翻訳書を手に取ったかといえば、毎晩ワイフがSplatoonをプレイしながら「糞!ファック!」としかめっ面で地団駄を踏んでいるからである(誇張表現)。
 ひどい負け方をして悔しい!と言って席を立つのでチョーシメーターを見てみたらチョーシサイコーだった。総合的に見て勝ちまくってるじゃねえか!なんだよ!俺なんか第二回赤いきつねフェスでボッコボコにされ続けてチョーシメーターは最後までボチボチから出なかったんだぞ!それでも文句の一つも言わずに黙々とクリスマスキッズたちと……

 ……どこまでも脱線しそうなので本の話に戻る。
 本書いわく、ゲームには失敗がつきものである。失敗のないヌルゲーは物足りないし、対戦であれば必ず敗者が存在する。我々は現実世界では失敗しないようにふるまうが、なぜ失敗するとわかっていてゲームをするのか?


 ちょっと翻訳が難しくて、というか「翻訳者もコレ言ってる意味がわかんなかったから辞書的に訳したんじゃないか?」ってくらい難しい部分もあって、なかなか意味をとるのに苦労した。

 まずひとつの説として、「人間はみずから悲しい思いをするために悲劇を観に行く」という「悲劇のパラドックス」を例にとる。恐怖映画も、胸糞小説も、我々は途中で映画館を出たり本を閉じたりする主導権を握っているので、安心して負の感情を摂取できるエンターテイメントとして成立しているのだ。ゲームの中での失敗も同じで、いつでもやめられるし、現実世界で給与の査定に響いたりはしないから……というのが最初に出てくる理由だ。

 もうひとつの理由として、失敗したところにリトライして乗り越えたときにカタルシスが得られるから、という視点が挙げられている。どうしてもクリアできなかった音ゲーの譜面を間一髪さばけるようになった、とか、スーパーウルトラサンボマンボマーシャルアーツに苦戦したがシールドαを覚えたら圧勝できた、とか、そういう達成感のことと思われる。達成感のないゲームは面白くない。つまり、プレイヤーを失敗させることは、ゲームに不可欠な要素なのだ。


 で、「失敗」させる要素を仕込むためには、当然「ゴール」を設定し、また、そのゴールに至るための「経路」を敷かねばならない。
 筆者はそのゴールに至るための経路、言い換えるなら「ゴールに至るために何を求められるか」で、ゲームを3パターンに分類している。
 なお、くれぐれもこの分類はクッキリと分かれるものではなく、ひとつのゲームの中に混ざりあっていることが多いことを留意して頂きたい。

■「スキル」のゲーム
 プレイヤーの能力に応じて報酬をあたえる能力主義のゲーム。
 俺が個人的に「体育会系ゲーム」と分類している、古典的シューティングやアクション、格闘ゲームなど、経験値がプレイヤーに蓄積するタイプのゲームである。
 これに失敗することはすなわちプレイヤーの能力の不足を意味し、場合によっては失敗に学ぶ機会となる。

■「運」のゲーム
 対戦ならじゃんけん、ソロプレイならソリティアなど。いわゆる運ゲー。
 麻雀とかポーカーとかは運の要素もあるけど、経験からくる状況判断力も重要なので、どこまで「運」でどこまで「スキル」かは判断の分かれるところ。
 運は一回だけの勝負では不平等だが、何度も対戦する場合は全員に対して平等である。
 これに失敗するのは、ただ不運であったと諦めるしかない。次ガンバロ!

■「労力」のゲーム
 プレイヤーが費やした時間に応じて報酬を与えるゲーム。
 俺が個人的に「文化系ゲーム」と分類している、RPGとか、懐かしのサンシャイン牧場とか、経験値がゲーム内に蓄積するタイプのゲームである。
 この場合の失敗とは「まだ成功していない」だけであり、レベルを上げて物理で殴ればたいてい解決できる。


 そしてさらに、「ゴール」の種類を3パターンに分類している。

■クリア可能なゴール
 一般的にクリアっていう場合にイメージするのがこれ。
 マリオだったらピーチ姫を救ってエンディング、FF2ならウボアー。
 一度ゴールしてしまえばあなたはそのゲームをクリアした人となり、不可逆である。

■一時的なゴール
 格ゲーで相手に勝った、マインスイーパを無事クリアした、など繰り返されるゲームのクリア。
 じゃんけんとかソリティアとか、「運」のゲームはこのゴールが多い。
 だがたとえばRPGでも、誰かとリアルタイムアタックを競えばこのパターンとなりうる。ゲームシステム側でゴールを設定しなくても、プレイヤーの側で勝手にゴールを設定することも多々あるわけだ。

■上達のゴール
 タイムアタック、スコアアタックなど。
 クリア(自己ベスト更新)してもそれが次のゴールになるだけであり、果てしない。
 中にはクッキークリッカーみたいにゴールそのものが存在しないデザインもある。


 ゲームは、この3種類のゴールを適切に配置し、そこに至るまでの3種類の経路を提供することで、プレイヤーを成功もしくは失敗に導いているのだ。
 たとえばSplatoonの一試合の結果は「一時的なゴール」であり、負けてもすぐ次の試合がある。そして一試合ぶんプレイヤーの「スキル」が高まったことで、次は慎重なプレイをして勝てるかもしれない。また、試合ごとメンバーがランダムなので、「運」がよければ次は味方に強い人が来て圧勝できるかもしれない。こうしてSplatoonは次の試合へとイカを駆り立てる。


 本書にはもっといろいろ、「プレイヤーの成功とキャラクターの成功を切り分けられるか」とか「失敗したくないために面白くない戦法をとってしまう心理」とか書いてあるんだけど、ちょっと俺の体験に引き寄せて咀嚼することが困難だった、っていうか翻訳口調がホントわかりにくくてアレだったので、第四章の分類の部分だけ中心にまとめてみた。
 ぶっちゃけ筆者の主張とズレた読み取り方をしてるかもしれない。興味のある人は手に取って検証してみて欲しい。
 
■2015-12-22 : ようかいしりとり攻略法
 子育てクラスタの皆様はご存じだろうか、『おかあさんといっしょ』の歌『ようかいしりとり』を。

 アップテンポでジャジーな音楽に合わせて、妖怪とようかいはかせが妖怪名でしりとりをしていく歌である。軽快なトラックとは裏腹に、出てくる妖怪名はかなりガチで、聞いたこともない奴がさらっと出てくるので驚かされる。

 この歌の中で、妖怪からようかいしりとりを挑まれたようかいはかせは、

■1番(VSろくろっ首)
ろくろっくび→びんぼうがみ→みつめこぞう→うみぼうず→ずんべらぼう→うまつき→きつねび→びじんさま→まくらがえし→しらぬい→いったんもめん(勝利)

■2番(VS座敷わらし)
ざしきわらし→しちほだ→だいだらぼっち→ちょうちんおばけ→けらけらおんな→なきばばあ→あまのじゃく→くらげのひのたま→まめだぬき→きむないぬ→ぬらりひょん(勝利)

(ようかいしりとり//横山だいすけ&三谷たくみ)
 ……と、作詞者のワザマエの光る鮮やかな連勝をおさめている。


 しかし俺は知りたい!
 ようかいはかせや妖怪たちは明らかに手加減をしている。歌の尺に合わせなければならないからだ。
 歌の都合は関係なく、互いに全力で勝ちを狙いにいったなら、はたしてようかいしりとりはどのような競技になるのか!


 まずは基本的なレギュレーションを確認しよう。
  • 使える単語は妖怪名しばり
  • 最初は自分の種族名からスタートする

 それに加えて、歌詞の中からは読み取れない部分を仮に決めておく。
  • 最後のオンビキ(ー)は削除して判定
  • 拗音「ゃ・ゅ・ょ」は「や・ゆ・よ」として判定
  • 「ジ・ヂ」「ズ・ヅ」は区別しない



 次に使える単語をリストアップしてみる。
 これがいちばん大変な作業であるが、俺は妖怪博士ではないので、今回はwikipedia「日本の妖怪一覧」を流用させて頂く。
 これは「wikipediaベースの知識でようかいはかせに勝てるのか?」という指針でもある。
 この一覧をざっとエクセルにコピペして、以下の補正を行う。
  • 読みが複数記載されているものは別々に登録
  • 「山姥(ヤマンバ・ヤマウバ)」など微妙な発音の違いのみで最初と最後の文字が変わらないものは区別せず登録
  • 「婆(ババ・ババア)」の読みが両方あるものは「ババア」に統一して登録

 そして最初の文字と最後の文字を抽出して考察を行う。



 ざっと見てまず目を引いた文字は「プ」である。
 プで始まる妖怪はいないが、プで終わる妖怪がいくつかいることが明らかになった。つまりこれらを使った瞬間、相手は使える言葉がなくなりゲームは終了する。
 
 プで終わる妖怪とは「イシネカプ」「イワコシンプ」「イワメテイェプ」「コシュンプ」「ヤウシケプ」「ルルコシンプ」の6種である。
 全部アイヌ語ではないか、アイヌ妖怪はアリなのか、という声が脳内を満たしたが、結論からいえばアイヌ妖怪の参戦はアリである。ようかいはかせ自らが「キムナイヌ」を使用しているからだ。

 したがって、今年お亡くなりになり無事妖怪の仲間入りをしたと思われる水木しげる先生が、ようかいはかせの所へ行ってようかいしりとりを挑んだとしても、「ミズキシゲル」→「ルルコシンプ」で即死して終わる。まあ水木先生であれば「プ」で始まる妖怪をご存じである可能性もあるので断言はできないが。
 いずれにせよ我々のレベルでは、このアイヌ6妖怪に連なる「イ・コ・ヤ・ル」の文字で終わったら、次のターンで確殺されることは注意しておく必要がある。


 次に注目したいのは「ズ」だ。
 リストの中に、ズで始まる妖怪は「ズンベラボウ」しかいない。そのくせ、ズで終わる妖怪は歌詞にも出てくる「ウミボウズ」をはじめ、「アカボウズ」だの「クロボウズ」だの坊主系が各種取りそろえられていてかなり手厚い。その数なんと全26種類。ズで攻めるのはかなりお手軽で、かつ攻撃力が非常に高い。
 一度「○○ボウズ」を食らったら「ズンベラボウ」で耐えたとしても即座に「ウミボウズ」か「ウミナリコボウズ」でガードを崩される即死コンボが確定するため、相手に坊主系を使わせないよう立ち回る必要がある。

 となると、先ほどの「イ・コ・ヤ・ル」に加えて「アウオカクグケザシセタトドニヌノ」の16文字が一気に地雷ワードに加わる。
 ようかいはかせが本気なら、二戦目の座敷わらしなど開幕の「ザシキワラシ」を「シロボウズ」のカウンターで取ってからの10割コンボで終了しているのだ。同居人なので気を遣っているのだろう。

 ここまで地雷ワードが増えると、そこから芋づる式に地雷が増えていく。
 たとえば「ベ」で始まる妖怪3種はいずれも「ウ」か「ン」で終わるためこれも即死ルートへの道を開いてしまう。
 同様に「ラ」で始まる妖怪4種も末尾が「ウ・ニ・ル」なので致死である。
 「ベ」で終わる妖怪は6種しかないが、「ラ」で終わる妖怪は26種もいるので誘い出されないよう注意が必要だ。


 もう少し研究すればさらにコンボルートが増えると思われるが、この段階ですでに「ン」を含めて23文字が地雷と化した。用意した全データ1171種のうち571体、ゆうに49%が「使用した瞬間に死ぬ」ワードである。別の言い方をすれば、ようかいはかせにとってみれば約半数の妖怪が「戦った瞬間に勝ち確」というわけだ。
 さすがにそれは可哀相だろう、せめて最初の妖怪名くらいは選ばせてやるべきでは、とも考えたが、そうなると「じゃんけんで先攻を取ってルルコシンプをぶつけたほうが勝ち」というゲームになるのは確定的に明らか。妖怪図鑑を丸呑みするよりじゃんけんの腕を鍛えるべき、という結論になってしまう。


 よって、ようかいしりとりでようかいはかせに勝ちたいのならば、いきなり即死コンボをたたき込める妖怪と化して挑むのがベストである。
 先ほどの座敷童も、座敷童のままでは開幕即死だが、別名義の「お倉坊主」で参戦すれば逆に開幕10割をたたき込んで圧勝できる。
 もしあなたが妖怪と化してようかいしりとりの覇者となりたいのであれば、「瀬坊主」か「黒坊主」あたりがてっとり早い。
 瀬坊主は阿武隈川に身を投げればワンチャンあるし、黒坊主は夜な夜な女性の寝室に忍び込んで口を嘗めるただの変質者だった可能性がある。
 ただし前者は死ぬし、後者は社会的に死ぬ。


 こうなる予感はしていたものの、なんとも味気ない結果になってしまった。
 唯一の救いは、今回使った語群がwikipedia準拠だということで、wikipedia先生の知らない「プ」や「ズ」で始まる妖怪がまだいる可能性が十分あるということだ。
 今後の妖怪研究に期待したい。
 
■2015-03-17 : ぼうけんのしょとは一体何か
 ドラクエの「ぼうけんのしょ」はいったいどのように実装されているのか?
 先に断っておくがゲームプログラミングの話ではない。
 遠くの町に一瞬で移動したり、死者を蘇らせたりする「じゅもん」があるドラクエの世界で、あの「ぼうけんのしょ」はどういう位置づけなのだろうかという疑問である。


 最初は、勇者たちが持っている不思議な本だと思っていた。
 神父さんや王様など、特殊な技能を持っている人のところへ持っていき、自分たちの情報を書き込んでもらう仕組みだと思っていた。だが説明書には機能の説明だけで、そんなことは書かれていない。

 この設定だと、書き込みはともかくとして、読み出し……特に全滅後の処理に無理が生じる。
 勇者が持ち歩いている設定だと、全滅したときに死体と一緒にぼうけんのしょが野ざらしになってしまう。これはいけない。死亡したときに所定の場所まで死体を運び蘇生させる呪文(いわゆるデスルーラ。利用料は所持金の半分)が込められているのかもしれないが、そんな複雑な処理ができるならもっと他に活用されているのではないか。

 倒れたパーティの死体とぼうけんのしょを教会まで運ぶサルベージ業者(報酬は所持金の半分)がいるのでは、と妄想したこともあったが、これも微妙に違和感がある。全滅すると、勇者のパーティは最後に記録した場所に戻されるが、それは必ずしも「最寄りのセーブポイント」ではない。サルベージ業者ならこんなことにはならないはずだ。


 となるともう、ぼうけんのしょを勇者が持ち歩いている設定は捨てるしかない。
 ぼうけんのしょは、神父さんや王様がそれぞれ持っているのだ。記録のときのセリフを見てみよう。

「そなたらの たびのせいかを この ぼうけんのしょに きろくしても よいかな?」(DQ3)
「そして このぼうけんのしょに きろくしても いいですかな?」(DQ4)

 どちらも「この」と言っている。手元にあるのだ。
 どこの教会でも読み出せて、書き込めるということは、ぼうけんのしょはiCloudやDropboxのような、クラウドストレージ上に存在すると考えるほかないだろう。それを彼らは「神」と呼んでアクセスしているのだ。勇者のバイタルサインが消えたときには最後に立ち寄った教会になんらかの連絡が行く仕組みになっていて、読み出しの儀式を行うのであろう。


 さて、ぼうけんのしょといえば無慈悲にロストすることでも有名だ。
 我々が便利に使っているクラウドストレージの数々が、突如サービスを停止してもうろたえぬよう、日々備えておくべしとの思いを新たにした。
 
■2013-09-21 : 歪んだ客観性
 たまに「あくまで自分の主観だけど」と前置きして話すことがある。
 相手の話に「でもそれってオマエの主観だろ?」と返すこともある。



 「自分の主観だけど」は、相手に自分の意見を強制しない奥ゆかしさを示すコトダマとして、便利に使われている。しかし、ふと、これを便利に使っていることで、逆に「主観では、相手に意見が通らない」という意識が生まれているのではないか?……と考えた。
 
 もちろん、大人の社会では、たいてい主観だけでは意見は通らない。「めんどくさいから、やりたくない」というのが本音でも、なんとか「人手が足りない」「予算がない」などの理由を探して拒否するのが大人なのだ。相手を説得するためには、主観を殺し、客観的な理由であたるのが理知的な人のありかたである。

 だが、世の中、主観でしか示せないことは多々ある。「私はお腹が痛い」ということを客観的に伝えることはできない。伝えなければならないときは、やむなく医師の診断書などで替えることになるが、それで自分の腹の痛さが伝わるわけではない。我々はもう少し、主観というやつを重んじてやるべきではないだろうか。あまりに主観を排除していくと、それはそれでおかしな歪みを生む。



 たとえば、「電車内での携帯電話の使用はお控え下さい」というマナーから、そんな匂いを感じる。もともとは「うるさいから喋るな」と言いたいだけだったのではなかろうか。それに客観性を持たせるために「ペースメーカー使用者への配慮を」という要素を付け加えてしまったのだとしたら、それが歪みの始まりだ。

 この大携帯時代に、ペースメーカー使用者が携帯電話を使えないのだとしたら大変なデジタル村八分だ。最初は本当に危険性があったのかもしれない。だが、今はただ、ペースメーカー使用者に呪いのように恐怖感を植え付けただけの文句となっており、優先席付近では電源を切らなければならないという謎のマナーだけが残った。優先席には病院のハイテク装置も航空機のハイテク装置もないというのに。

 タバコもそうだ。アレは密室で吸われるとたしかにケムい。あとクサい。ケムいのはそこまで嫌いじゃないが、帰宅したら即ファブ必須なあの匂いは困る。……って感じの軽い嫌煙者は俺以外にもいると思うのだが、嫌いとか困るとかは個人の主観である。そして、これを社会的に押し通すために作られた根拠が「副流煙の害」なのではないか。

 昔、養老孟司先生が「タバコの害に科学的根拠はない」と主張していたのを読んだ。「そんなわけねえだろ」とは思ったが、少なくとも副流煙の害の根拠とされる平山論文には疑問点が多い、というのは意に留めておく必要がある。仮に副流煙が排気ガス等と比べて圧倒的に無害だったとすると、喫煙者がガンになるのは個人の嗜好ということになる。そして、喫煙でガンにならずとも、日本人の3人に1人はいつかガンで死ぬ定め。医療費の総額は減らぬ。よって嫌煙家の主張対象は「くせえ」などの主観的だが肝心なものへ集約されていく。となると、匂いや煙の出ないかぎたばこ等が許容され、喫煙者と非喫煙者の妥協点にたどり着けた可能性もある。だが実際は、副流煙の害がろくに精査されないまま恐怖感として嫌煙家に広がり、両者は完全に断絶してしまった。



 捏造とまでは言わないが、このように妙な「客観性」を持たせることで、新たな歪みが生まれてしまった例は他にもあるのではないか。それもこれも、「客観性」を持たせないと主観を通せないからだ。我々はもうちょっと主観を出してもいいし、他人の主観を汲む姿勢も必要だと思う。まあこれも自分の主観だけど。
 
■2013-06-29 : 地球防衛軍と難易度選択
 ここんとこ、中古で買ってきた『The 地球防衛軍2』をプレイしていた。

 プレステ2のゲームに戻ると、ワイヤレスでないコントローラーの不便さを思い知ると同時に、ゲーム機の電源を入れるとすぐゲームが始まるという、かつては当たり前だったことの良さを実感する。トロフィーデータを読みに行ったりダウンロードコンテンツをチェックしたりネットワークにログインしたりする時間が一切ないというのは、やはり快適というほかない。

 特にこのソフトはメーカーロゴも一瞬で飛ばせるので素晴らしい。タイトル画面の次はもう装備選択とミッション選択だし、なんの説明もなく戦場に送り込まれて「とにかく敵を撃て!」という姿勢は清々しいほどだ。低価格ソフトだから、という理由もあろうが、こういう「始める(再開する)までの敷居をうんと下げる」というのは、スマフォに押されつつある家庭用ゲーム機が見習うべき点であろう。


 で、『地球防衛軍』に目をつけたのは、最新作の発売が迫っているということと、『無双』『バイオ』と同じく2プレイヤーで協力できるアクションである、ということが主な理由である。オンライン環境の普及で、ローカルで2人プレイできるゲームはめっきり減ってしまった。我々は2人でできるゲームに飢えていたのかもしれない。

 実際にプレイしてみると、『無双』に似た楽しみがある。内容は無双するより蹂躙されるほうが多いけど、新しい武器がドロップされたときの嬉しみは『無双』のそれと同じだ。もちろん難易度を上げるとそれだけ強い武器がドロップしやすくなるので、どのレベルで武器集めをするか悩むのも共通している。

 難易度が「EASY-NORMAL-HARD」とだけあったら、だいたい「EASY」か「NORMAL」を選び、最後までその難易度で進めてしまうことがほとんどだ。『バイオ6』も『バトライド・ウォー』もそうしていた。バイオはまだ、クリアメダルが難易度ごとに存在したので「他の難易度も埋めてみるか」と思わないでもなかったけれど、バトライドの場合はクリアランクが全難易度共通だったのでNORMAL以外をプレイする理由がなかった。
 『無双』や3DSの『パルテナの鏡』の場合、ドロップアイテムが良くなるというエサがあるので、最終的には難しいレベルを安定してクリアすることを目標にプレイすることになる。『地球防衛軍』も基本的にはそれだ。EASYでやってたらぜんぜんお目にかかれない種類の武器とかがゴロゴロしているので、難易度を上げる動機付けになる。
 このエサがあるかないかでゲームの寿命がえらく変わると思うんだけど、けっこうテキトーに難易度レベルだけを提示して、プレイヤーの意地に賭けているだけのゲームが多いのは残念である。


 基本難易度をNORMALに定め、ペイルウイングで立体機動しつつ進撃の巨人ごっこをしていたが、あんどう陸戦兵にたびたびバズーカを誤射されて反省したため、最終的には遠距離戦向きでないペイルで狙撃を担うというよくわからないプレイスタイルになっていた。

 このゲーム、中古価格1000円で30時間以上遊んでしまったわけだけど、あまりにコスパがよすぎてフルプライスである『4』がこの6倍遊べるか自信がなくなってきた。たぶん買うけど。
 
■2013-05-05 : 学園モノ3大あるある
 「学園モノ3大あるあ……ねーよwww」として、「生徒に解放された屋上」「権力のある生徒会」「全生徒の成績を発表」を挙げておく。異論は積極的に認めたい。

 このうち成績発表については、全員発表→上位者のみ発表→個人にのみ伝達→完全秘匿という時代の流れがあるような気がする。自分が中高生だったころは上位者のみの発表が廃止されようとしていたので、無慈悲に全員発表していた時代があったかどうかは想像するしかない。
 本当にそんな時代があったのか想像しにくいが、学園モノのアニメやゲームで定期テストがあるとだいたい下位の者まで発表されるので、やはりあったのだろう。
 夏休みの件もあるし、学園モノはこれからどんどんファンタジーになっていくに違いない。さらなる「あるあ……ねーよwww」が生まれる日も近い。
 
■2013-03-31 : 説教するものされるもの
 四月からようやく同じ部署に後輩が入ることになったので、考えていたことをまとめておく。


 わりとどの部署でも、でかい声で説教する上司がいる。
 俺はいままでの下っ端生活で数々の説教を見てきたし、されてきた。
 これから、自分はどのような上司になっていくだろうか?
 誰かに説教をしなければならないような状況になるだろうか?
 そのためには説教というものの原理を考え、把握しておかなければならない。

 説教というモノは基本的に「知っている話」だ。「知っている話」を懇々とされる、こんな無駄なコトは無い。おそらく説教で重要なのは内容ではない、コミュニケーションそのものだ。「諭す側」「諭される側」の関係性を強固にするための交流儀式、それが説教の本質!

(『え!?絵が下手なのに漫画家に?』施川ユウキ より)
 説教は、問題解決の方法として無駄なことこの上ない。それでもでかい声でどなりちらす上司がいるというのは、何か必要性があるからだろう。
 単純に「そいつが性格破綻者だから」というケースが多いような気がするが、それだと考えても実益がないので除外する。


 引用したように、説教とは「諭す側」「諭される側」の関係性を強固にするための交流儀式である。
 それはサル山のリーダーがマウンティングで上下関係を再確認するのと同じ事だ。
 上下関係の再確認。集団で動くことが必要不可欠な業種、縦社会の組織では必要な行為だろう。

 「お前より俺の方がえらい」ということを教え込むなら、一昔前はブン殴るのが早かった。今はそうもいかないので、長時間の恫喝によって精神的にブン殴る。
 だが「上下関係を再確認しないといけない」というのは要するにナメられているということであり、尊敬を勝ち得る仕事をしていないということでもある。
 この場合、下っ端にナメられた末にサル山のマウンティングめいた行動をしなければならない己を悔いるべきだろう。
 なお稀に大勢の前で長々と説教している人がいるが、これはメンバー全員からナメられているパターンであり残念な上司といえよう。こうならないよう身の程はわきまえたい。


 もう一つ、逆に相手(部下)がサル山のサル程度の精神状態であった場合が考えられる。「精神状態」といったのは、ふだん有能な人であっても、仕事と環境によってはそういう状態になっていることがあるのではないか、という観察による。

 言っても聞かない相手に言うことを聞かせるのなら、一昔前はブン殴るのが早かった。今はそうもいかないので、長時間の恫喝によって精神的にブン殴る。
 そこまでいかなくても、冷静に状況を伝え反省を促すより「私は怒っている」という姿勢を見せたほうが効果的な相手というのは存在するので、伝達の手段としてはまあ、ありえなくはない。
 納期にたびたび遅れる取引先の営業を恫喝することで、次回から「あそこの部長は怒らせるとめんどくさいから優先的に仕事をしよう」みたいな状態になるのを狙っているのかもしれない。それより取引先を変えた方が早いと思うけど。
 ただ「怒り」のカードは切るたびに切れ味が落ちるので、これを使うのは最終手段にしないと、ただの人格破綻者になってしまう危険性がある。


 ここまで説教する側のことを考えてきたけれど、自分はまだまだ説教されることのほうが多い。
 だが説教される側は大して頭を使うことはない。
 冒頭の引用部だけ見ても、説教を食らう側のとるべき選択肢はたった一つである。
 ただ「怒られたぁー」という顔をしていれば良い。

 説教の内容は「どう考えても反論できない当たり前のこと」である。
 「お前はちゃんと仕事をしていない」と言えば、常時フルスロットルで仕事している人はいないのだから、反論は不可能。
 これはもはやゼンだ。禅問答だ。
 答えを求めよう、認められよう、という考えを捨て、反省している態度だけを見せて嵐が過ぎるのを待つのだ。
 受けたストレスはどこか別の場所で投棄するがいい。そもそもそうやって投棄されたストレスなのかもしれないのだから。


 ……まあ、今の職場にはどなりちらす上司はいないので、当面は説教する必要がない立派な上司となれるよう精進することに力を注ごう。
 明日から新年度である。
 
■2013-01-19 : 朝活
 あなたは重い荷物を載せた台車を押すことになった。
 進もうとすると、かなりの力が要る。
 そのうち台車はゆっくりと動きだし、滑らかな床を進んでいく。
 こうなると慣性のおかげで、それほど気張らなくても台車は進む。
 だが、そのとき目の前にボールが転がってきた。
 すぐに止まろうと思うと、またかなりの力が要る。
 これも慣性によるものだ。


 夜間の照明に苦労しなくなった現代においても「早起き」が美徳とされる理由の一つがここにある。
 すなわち、冒頭の慣性の法則めいた「起きるという決断にも寝るという決断にもかなりのエネルギーが要る」という理屈で、決断的に早起き、ひいては早寝できる精神はすばらしい、ということである。
 これが、一時間早く出社して仕事を始める奴のほうが、一時間遅くまで残って仕事をする奴より偉いという価値観となる。

 だが実際は、多くの場合、追加の報酬は「遅くまで残った奴」のほうに支払われる。
 朝早く出てくる奴は、あくまで個人の判断で出てきているのだと判断される。
 先ほどの価値観からすれば、どう考えても逆でないとおかしい。
 最近、管理職の人の口からいまさら「朝活」という言葉を聞いて辟易した。管理職の立場からそれを勧めたら、要するに「無賃労働せよ」と言っているようなものではないか。
 無賃労働させられるから早起きが美徳とされているのか?
 だとしたらずいぶん露骨なプロパガンダだと思う。

 「早起きは三文の得」と言うが、それで得をするのは誰か、しっかり考えておきたい。
 まあ残業代が存在しない俺にとってはどっちでも同じなんだけどね。
 
■2012-12-23 : ヒーローと魔法少女
 突然だが、『スマイルプリキュア!』のメンバーは、ものすごく「プリキュアであること」をエンジョイしているなーと思った。

 プリキュアは過去二作しか知らないが、これほどエンジョイしまくっているのはスマイルが随一ではないのか。
 確かに今までも、プリキュアになったことで精神的成長とか人間関係改善とかの利点はあった。
 しかしそれは戦う運命を背負うリスクを考えると圧倒的にリターンが少なすぎる。
 その点スマプリの面々は、本棚ワープの能力を利用して異次元に秘密基地をつくるわ、世界中にワープして観光旅行はするわ、映画村では映画を撮られるわ、キュアデコルは好き放題使うわで、鬱回の分を差し引いても実生活が充実しまくっている。


 ヒーローもの(バトルヒロインもの)において、主人公が得た異能の力を私的利用する場面はあまり見ない。
 戦う目的そのものが私的であるズバットみたいな例はややこしいので除くけれど……

 仮面ライダーフォーゼでは、ペンとかウォーターとか明らかに戦闘用でないモジュールがあったものの、それらを戦闘以外に使おうとするとKENGOさんに「フォーゼの力を下らない事に使うな」と怒られていた。
 ゴーカイジャーの面々は、最初は「宇宙最大のお宝を手にいれる」ためにおもいっきりレンジャーキーを私的利用していたが、やはりそれはアウトローゆえ。最終的には「地球を守る」という歴代戦隊の意志を受け継ぐに至った。

 ヒーローものだと、そもそも得た力が戦闘用でプライベートに活用できない、という例も多そうだけど、例えば「遅刻しそうなので超加速」とかそういう使い方は全然されない。
 魔法戦隊であるマジレンジャーを観てみたら、案の定ピンクのお姉さんが私的に能力を使いまくって怒られていたので、私的利用はギャグシーン以外ではされない、と言ったほうがいいかもしれない。


 その点、魔法少女はどうだ。
 ちゃんと観たことがないので憶測だが、ひみつのアッコさんとか、エスパー魔美さんとか、ほぼ個人的な目的ないしは身内を対象に能力を使っているイメージがある。
 そもそも「平和を乱す存在」がいなければ公的な目的が存在しえない。
 ドラえもんだって大長編でない限りは基本的に私的利用だし。

 このへんが、セーラームーンに代表されるバトルヒロイン(ヒーローもの)と、魔法少女ものの大きな違いだと思われる。
 ヒーローは異能の力を私的利用してはいけないのだ。
 あんなこといいな、できたらいいな、のノリで「子どもに夢を与える」のが伝統的魔法少女であり、平和を乱す存在から「子どもの夢を守る」のがヒーローである、とざっくり断定できよう。

 このように考えると、まどマギのあんこの「魔法ってのはね、徹頭徹尾自分だけの望みを叶えるためのもんなんだよ」という台詞は魔法少女としてむしろ当たり前の感覚であり、QBが「確かにマミみたいなタイプは珍しかった」というのも頷ける。
 マミさんやさやかちゃんがやりたかったのは「ヒーロー」であって「魔法少女」ではない。
 「だって魔法少女はさ、夢と希望を叶えるんだから」とまどか神の仰る通りである。


 スマイルプリキュアでの能力の私的利用は、ヒーローものの文法の中で魔法少女的な要素を復権させようという動きなのかもしれない。
 彼女らを見習って、「魔法」を全面に押し出している仮面ライダーウィザードさんはもっと指輪の力を私的に使うべき。
 まずはプレーンシュガードーナツを毎回店舗からコネクトで取り寄せることから始めよう。